── 2016年の調子は?
モーターによって良かったり、悪かったり。悪いモーターの時ほどうまく調整して踏ん張らなければいけないけれど、まだその調整が難しいです。
── 2015年は13優出V2、その優勝2回は平和島です。ズバリ得意な場ですか?
夏と年末ですよね。いや~あの時はモーターさまさまですよ。でも、そこにうまく調整を合わせきれたのは良かったです。得意、不得意って場はないけど、ここ(東京都大田区)で育ってきた人間だから、東京3場のなかでは特に勝ちたいって気持ちが強いですね。
── 今までで印象に残っているレースはありますか?
昔のことは思い出せないなぁ…。今印象に残っているというと、2015年12月末の『東京ダービー』かな。『東京ダービー』はオール東京戦だし、年に1回しかやらないレースだけに当然気合が入ります。今まで何度も目の前で優勝を取り逃していた分、今回はスタートを決めて、4コースから内にプレッシャーかけて優勝できたっていうのは個人的に大きかった。2015年がうまく締まって、良いお正月を迎えられました。
── では、今までで苦労した時期はありますか?
スランプはないです。ただ、辛かったのは2度左手をケガした時。デビューしてすぐに平和島で試運転中に親指を切断するくらいのケガをして、6年前の常滑周年で小指と薬指の間がバッサリ裂けて小指の第一関節が皮一枚で繋がるくらいのケガをしました。1回目の時は若かったし、そこまで恐怖は感じなかったけれど、2回目の時は「復帰してまた同じように走れるのかな」という精神的なダメージがあったんです。それ以来、レース本番が近づくと恐怖が生まれるようになり、これがトラウマかと身に染みて知りました。でもトラウマを失くす最良の方法はコンスタントに休まず走ることですから。今後も場数を踏んでいくのみです。
── ご自分の長所は何ですか?
前向きで冷静、そして視野が広く周りを見られるところ。技量というより、そういう内面的なところで今ここまで来られたと思っています。
── 短所は何ですか?
最後の詰めが甘い。優出回数の割に優勝が少ないんです。最後の最後まで集中しきれていないんだと思います。30代の頃に1本でもG1を獲っていれば自信にも繋がっただろうし、SGへの弾みにもなっただろうけど…。もうちょっとなのにっていう歯痒さが常にあります。
── 2012年4月、東京支部の支部長になったわけですが、どのような経緯で?
2010年、鈴木茂正前支部長から頼まれて副支部長になって、そこからスライド式に支部長になりました。会議、イベントの打ち合わせ、選手管理など、やらなければいけないことは多岐に渡り、自由な時間はかなり減りました。その分家族との時間も減ってしまったので、カミさんや子どもたちには申し訳ないと思っています。けれども、もっと多くのファンが東京3場へ足を運んでくれるように、やれることを沢山やっていきたい! 電話投票や場外発売場で買っていただくのもとてもありがたいですが、できるなら本場に来てレースを見てもらいたいです!!
── ちなみに山田選手から見て若手で良い走りをする選手はいますか?
うーん……(桐生)順平や茅原(悠紀)は異次元の走りをしています。俺ら世代が習った走り方ではないですからね。後輩でも、うり坊(瓜生正義)とかハマ(濱野谷憲吾)なら若い時代に真似できたと思うけど、アイツらはちょっと違うなと感じます。うまいというよりは自分ならではのスタイルがある感じ。もちろん、勝負する時はやっぱり負けたくはないですよ。